水彩
・先日島根県の津和野へ小旅行に行った。画家の安野光雅さんが子どもの頃から好きで、安野さんの故郷にある安野光雅美術館とその景色を見てみたかったからだ。新山口駅から特急で1時間ほど揺られていくと山間には鮮やかな赤茶色の屋根瓦の家が増えていく。「石州瓦(せきしゅうがわら)」という島根県の伝統的な瓦で、独特の色は島根県で採れる来待石(きまちいし)から作られた釉薬に由来するらしい。津和野でもこの瓦屋根の家が多く、お寺の屋根は昔ながらの焼きむらがある瓦で美しかった。

・市内には水路が流れており、たくさんの錦鯉が泳いでいる。餌を売っていたのでやってみたがほとんど食べない。残念に思いながら水路に沿って歩いていくと餌売り場から離れたところの鯉は取り合ってたくさん食べていた。みんな近場であげている。

・少し山に入ったところにある乙女峠マリア聖堂にも行った。元々長崎のキリシタンたちが迫害されて津和野に流され数十人が亡くなった場所だ。昭和26年に建てられた小さな教会は素朴ながらまるで安野光雅さんの絵のような可愛らしさがある。

・事前に調べておいた高津川の河原で石を拾った。ピンクや青みのグレーの粒がかわいい花崗岩や、キラキラの黒雲母が入った安山岩、縞模様の堆積岩など。

・日原天文台にも行った。あいにくの天気だったので観測はできなかったが、観測装置を動かしてもらった。ハワイにあるすばる望遠鏡の試作機としてつくられたもので、ハニカム構造の一枚鏡が使われている。

・大阪の国立民族学博物館で衣装を見た鷺舞は津和野地方のお祭りだ。街のあちこちで鷺舞モチーフを見かけた。

・安野光雅美術館では一般展示のほかに装画の仕事の企画展がされていた。仕事量が膨大でそのどれも素晴らしい。忙しいとか言ってられない、もっと絵を描こう。
・帰りに途中下車をして少しだけ広島を歩いた。原爆ドームを初めて間近で見た。ドームの下には瓦礫が今も残されていた。もともと広島県物産陳列館だったこの建物はチェコの建築家によって建てられたそうで壁面の意匠がモダンで素敵だ。海外からの観光客の方も多く一緒に自撮りをして去っていく。
・原爆が落ちたちょうど真下にあった医院は今も内科医院として営業しており、その営業時間は原爆が落ちた時間と同じ8:15からだった。
・公園の奥には強制労働で日本に連れてこられて被曝された韓国人原爆犠牲者慰霊碑と、名前がわからないまま埋葬された原爆供養塔がある。
・橋を渡ってすぐのところには、「この世界の片隅に」の冒頭で子ども時代のすずさんが寄りかかって佇んでいた大正屋呉服店だった建物がある。今は資料館と喫茶室として使われている。「この世界の片隅に」の素晴らしさは私などにはとても語りきれないが、原爆を歴史としてではなく、絵が好きなひとりの少女の視点から描いたことが本当にすごいと思う。犠牲者は最初から犠牲者だったわけでない。広島市には”原爆ドーム”ではなく広島県物産陳列館があり、呉服店や街があり、そこには生活があった。それは今のわたしたちと何も変わらない。戦争は絶対に嫌です。

・地図で見つけた長崎堂でバターケーキを買った。箱が可愛い。カステラとパウンドケーキの親戚みたいなふわふわのおいしさ。

・青山ブックセンター本店で行われていた『カシワイ作品集』の刊行記念展が終わりました。展示では線画の原画と着彩後のパネルを中心に展示しました。初めてのサイン会も緊張して前後ほぼ眠れませんでしたが、たくさんの方にお会いできて嬉しい時間でした。展示はこれでひと段落となりますが、画集は引き続き全国の書店で販売中です。
・表紙と裏表紙のイラストの複製原画も12/22の22時から販売されるそうです。
私も見本をいただきましたが素晴らしい印刷の出来です。期間限定の取り扱いとなりこの先はおそらく販売の機会はないのでぜひご検討ください。
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・少し前に蚤の市で青いホーロー製のミルクソースパンを手に入れた。ヨーロッパの古道具を扱うお店の雑多な箱の中から可愛らしい花柄に惹かれて手に取り底を見ると「MADE IN YUGOSLAVIA」と書かれていた。
・ユーゴスラビアは1991年から2003年頃までの紛争によって解体され、今はいくつかの国(セルビア、クロアチア、スロベニア..etc)に分かれている。旅先で読んだ『ベオグラード日誌』(著:山﨑佳代子さん ちくま文庫)には、セルビア語と日本語を行き来しながら詩人の言葉で書かれたささやかな生活の端々に、その紛争による空爆の記憶や難民の子どもたちとの交流などが挟み込まれる。歴史の記録としての「紛争を経て国は解体された」という一文には残されない、小さな声の言葉たち。『平和と愚かさ』(著:東浩紀さん ゲンロン)も大変勉強になった。
・ミルクソースパンで温めたミルクを紅茶に入れる。湯気のたつミルクティを飲みながら、かつてあった国と現在そこで暮らす人々のことを思い浮かべる。私は何も知らないことばかりだな。

・近所で信号機の電球を交換していた。クレーン車に乗った作業員が、電球一個につき15秒くらいの早業でさくさくと交換していく。最近ではLEDの信号機も増えたので電球を交換している様子が珍しくつい見入ってしまった。(警備員の方に早く通ってくださいね〜と促された。)
・以前仙台に行ったときに街中で見かけた不思議な形の信号機を思い出した。路地の交差点の中央にロの字型の信号機が吊るされており、外側の側面に車両用の信号機、内側の側面に歩行者用の信号機が表示されている。狭い路地にも支柱一本で8つの信号機を設置できる利点がある。正式名称は「懸垂型交通信号機」だが、その形からUFO型信号機とも呼ばれているそうだ。
・気になって調べたら、昨年2024年夏に老朽化のため、最後のUFO型信号機が撤去されたそうだ。仙台にのみ現役で残っていたらしい。散歩していてあの信号機が目の前に現れた時のときめきを思い出して少し寂しい気持ちになっている。

・長崎へ小旅行に行った。長崎へは、池島の炭鉱跡や針尾無線塔、五島列島、壱岐島には行ったことがある。今回の目的は長崎ペンギン水族館とバイオパークだったので、そんなにあちこち回れなかったが楽しんだ。
・長崎ペンギン水族館は、国内でも有数のペンギン飼育数と聞いてからずっと行ってみたかった。そんなに大きな規模の水族館ではないが、それぞれのペンギンの飼育スペースは広々としていて、ペンギンたちがぷりぷりと健康そうだった。
・少人数制で飼育員さんが1時間たっぷりとガイドしてくれるツアーにも参加した。案内してくれた方はベテランの飼育員さんという感じの方で、展示する魚を漁師さんから分けてもらって集める大変さ(ex.ウツボは既にたくさんいるが、いらないとも言えず増え続けている)や、メコンオオナマズという巨大魚をタイまでもらいに行ったときの苦労話など、飼育員さんならではの裏話が聞けた。
・「ペンギンたちの世話をしていると、数年経ったある日突然ペンギンたちに顔があることに気づく。」という話が面白かった。人相ならぬペン相があり、年齢や性別もひと目でわかるらしい。ガイドツアーの整理券番号一番の女の子は持ち物がペンギングッズで固められているガチ勢の子で、そんな話を真剣な眼差しで聞いていた。

・通りがかりに長崎の凧の専門店も覗いてみたら、ハタ職人3代目のご主人が歴史や各地の凧について饒舌に説明してくれた。長崎では凧のことを”ハタ”と呼ぶそうだ。最大の特徴は、青、赤、白(と黒)色で、描画ではなく各色の紙を貼り合わせて作ること。糸はガラス繊維でコーティングしてあり、相手の糸に絡めて切って遊ぶらしい。負けた方は、落下したハタを手放さなければならないそう。厳しい。久しぶりに凧揚げをしたくなった。

