日記

白球

 先日、初めて甲子園で高校野球を観た。

・甲子園駅を降りると、吉野家もいつものオレンジと緑と白のしましまではなく、黄色と黒のしましまに変わっていた。駅前に置いてあるコーンも黄色と黒のしましまである。徹底している。駅前は全国から選手たちの応援のために集まってきた人たちで賑わっていて、さまざまなイントネーションの言葉が聞こえてくる。

・甲子園球場自体も初めて目にした。赤茶色の煉瓦造りの壁に蔦が絡まっている(冬なので蔦は枯れて茎だけだったが)。中に入ると芝生と土のグラウンドが広がり、その上に抜けていくようもポッカリと青空がのぞいている。

・当たり前だが選手一人一人が実在してそこにいて、質量を持って野球をしていることに軽い感動を覚える。学生時代、体力テストにある球を投げた距離の測定で絶望的な数字を叩き出していた身としては、投げた球が放物線ではなく真っ直ぐミットに向かって飛んでいくのが不思議で仕方がない。一体どれだけの練習をしたのだろう。

・今まであまり縁がなかったスポーツ観戦だったがとても面白かった。しかし自分はみんなで声を合わせて応援するのに興味がないこともわかった。声は出したい時に出したい。

一歩でも一塁に近付くべく左打をする選手のほうが多いらしい

・試合が終わるごとに数十人のスタッフがグラウンドを綺麗に整備している。ホースで水を撒く際には、ホースをひきづって跡がつかないように何人かで持っていた。お祭りで龍を操る人のようだ。虹が何度も出ていた。

虹とうぶ毛と万願寺とうがらし

 近頃は割と忙しい気がするが、散歩をしているしよく眠っているのでそうでもないのかもしれない。そんな時期は、リストを作って順番にやっていくことが毎日の出来事になるが、それとは別に日記の端々には、きっと書かなければ忘れてしまうような断片ばかりが残っている。

・少し久しぶりにクロッキー会に参加した。モデルさんのうぶ毛が逆光の光を含み、全身がぼんやりと発光していて美しかった。人間はつるつるなんかじゃない。

・飲食店でご飯を食べていたら、年配の男性が缶ビールを片手に入ってきたのでびっくりしていると店主に「おかえり。」と言われている。どうやら身内らしい。お店のコップを使って飲みながら、店主に「万願寺とうがらしってどんなやったっけ。」と聞いている。ちょうど夕ご飯の時間帯でお客さんで混み始めており、店主も店員さんもとても忙しそうで、どうやっても今聞くべき話題とは思えない。横目で見ていると、「そうだ、ピーマンみたいなやつやな。」と呟いて、するりと店を出ていった。

・雨が上がると太陽の反対方向を確認するようにしている。その日もくっきりとした虹が住宅街から生えていた。多分隣駅のあたりだと思う。

「ある日突然顔があることに気づく。」

・長崎へ小旅行に行った。長崎へは、池島の炭鉱跡や針尾無線塔、五島列島、壱岐島には行ったことがある。今回の目的は長崎ペンギン水族館とバイオパークだったので、そんなにあちこち回れなかったが楽しんだ。

・長崎ペンギン水族館は、国内でも有数のペンギン飼育数と聞いてからずっと行ってみたかった。そんなに大きな規模の水族館ではないが、それぞれのペンギンの飼育スペースは広々としていて、ペンギンたちがぷりぷりと健康そうだった。

・少人数制で飼育員さんが1時間たっぷりとガイドしてくれるツアーにも参加した。案内してくれた方はベテランの飼育員さんという感じの方で、展示する魚を漁師さんから分けてもらって集める大変さ(ex.ウツボは既にたくさんいるが、いらないとも言えず増え続けている)や、メコンオオナマズという巨大魚をタイまでもらいに行ったときの苦労話など、飼育員さんならではの裏話が聞けた。

・「ペンギンたちの世話をしていると、数年経ったある日突然ペンギンたちに顔があることに気づく。」という話が面白かった。人相ならぬペン相があり、年齢や性別もひと目でわかるらしい。ガイドツアーの整理券番号一番の女の子は持ち物がペンギングッズで固められているガチ勢の子で、そんな話を真剣な眼差しで聞いていた。

・通りがかりに長崎の凧の専門店も覗いてみたら、ハタ職人3代目のご主人が歴史や各地の凧について饒舌に説明してくれた。長崎では凧のことを”ハタ”と呼ぶそうだ。最大の特徴は、青、赤、白(と黒)色で、描画ではなく各色の紙を貼り合わせて作ること。糸はガラス繊維でコーティングしてあり、相手の糸に絡めて切って遊ぶらしい。負けた方は、落下したハタを手放さなければならないそう。厳しい。久しぶりに凧揚げをしたくなった。

メレンゲはツノが立つまで

・友人のアトリエスペースにて、お菓子を作る会をした。

・アトリエはDIYで殆ど自分たちの手でつくったそうで、コンクリートの床に埋め込まれたガラス片や、FRPで作られた半透明のカウンターなど、隅々までかっこいい。どこかアトリエの持ち主が作る作品の雰囲気がある。

・普段よく自炊をしているが、お菓子は殆ど作らない。みんなでお菓子を作るというのも、子どもの頃以来ぶりだと思う。みんなでエプロンと三角巾をしてわいわい言いながら、今回はガトーショコラをつくった。「卵黄84g、グラニュー糖164g..」と、1グラム単位で刻む計量に、お菓子作りには慎重さが必要だとあらためて感じる。

・オーブンで焼いている間、ちょうど近所の小学生たちの下校時刻だった。アトリエをのぞいていく小学生たちがつるつるの石やハート型の葉っぱを置いて、「また今度寄れる時くるね」と言いながら帰っていった。

・おいしいガトーショコラが焼き上がった。生クリームで一人一台ずつ飾り付けをさせてもらい、それぞれの個性が出たケーキになった。買うものというイメージだったものを自分で作れると、秘密が一つ解き明かされたような気持ちになる。冷蔵庫で待つごほうびを胸に仕事を進めていく。

タコブネに乗って

・タコブネという生き物を知った。同居人から教えてもらった『海からの贈り物』(著:アン・モロウ・リンドバーグ 新潮文庫)の中の一説に出てくるのだが、タコなのに自ら殻を作り(メスだけ)、海面を漂いながら生きるらしい。そもそもタコは貝の仲間だが貝殻を失った頭足類だ。それなのに殻を持つなんて。(しかし厳密にはオウムガイのような貝殻とは成分は異なるため、貝殻ではないらしい。)

・タコブネという名前も素敵だ。学名はArgonauta hians。Argonautaは、金色のヒツジの毛を探して航海したギリシャ神話が由来とのこと。どこまでも詩的。

・そうしてすっかり好きになり、色々と調べているなかで小さな標本を一つ購入した。

・非常に繊細な生き物らしく、捕獲しても数日しか生きられず水族館でも飼育に成功した例はないみたい。日本でも稀に、殻が海岸に打ち上げられることがあるらしいので、いつか出会えることを夢見ながら手元の殻を眺めている。

ねころんで雪を見る

・展示を見た帰りにスイセンの球根を3つ買う。水耕栽培できるものらしいので、空いているコップを探して並べて水を薄くはる。春が待ち遠しい。

・午後から雪がちらつきはじめた。
鴨川沿いを自転車で走っていたら、中学生くらいの子がひとりおもむろに地面に寝そべって雪を見はじめた。真似をして顔を上に向けると、雪は空から降ってくるということがありありと感じられる。『スティル・ライフ』の雪のシーンを思い出す。

”雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。”
(『スティル・ライフ』 池澤夏樹 著 中公文庫)

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