Diary
・宮崎での取材から帰ってきた。飛行場を降りてすぐにトロピカルジューススタンドとヤシの木があり南国感があった。以下、取材に関わらない小さな日記。
・ホテルに到着した時にはスーツ姿だったスタッフさんが、翌朝になるとアロハシャツに変わっていた。丁度6月から衣替えだったらしい。最初はなんとなく違和感だけがあり、あとから気がついた。
・夕ごはんを求めてうろうろしていたら、たばこ屋の前に佇んでいたおばあさんに話しかけられた。彼女は90年間ずっとこの場所に住んでいるらしい。今日の昼にたばこ屋の前にある洋食屋さんでハンバーグを食べたこと、子供の頃は港に船が入ってくると街が賑わい、漁師同士が喧嘩しているのを窓の隙間から見るのが好きだったこと、空襲から逃げてすぐそこの防空壕に入ったこと。時系列がバラバラな出来事がたった今起きたことのように同じ軸で語られていく。そういえば少し前に4歳くらいの子どもさんと話した時も同じような語りだったなと思い出す。人は歳をとると時間の観念がなかった頃に戻っていくのかもしれない。話が三周目に入ったところでお礼を言って別れた。
・旅先で読んだ本リスト
『夢みる石 石と人のふしぎな物語』(著:徳井いつこさん 創元社)
石の魅力にとりつかれた人々の話。石はハマると特別深いところに落ちていくような感じがある。ちょっとわかる。
『なぜ人は自分を責めてしまうのか』(著:信田さよこさん 筑摩書房)
信田さんの本は幾つか読んでいるが、講演をベースにした本なので語り言葉で特に読みやすかった。タイトルは自責だが、母娘、家族の関係についての話題が中心。自分の家族を箱の縁から俯瞰して眺める助けになりそう。
『資本主義に徳はあるか』(著:アンドレ・コント=スポンヴィルさん 訳:小須田健さん C・カンタンさん 紀伊国屋書店)
私は本を映像として読んでいるので言語を組み立てて論じていくような哲学系の本が苦手だった。しかしようやく最近は少しずつ読めるようになってきたのでおすすめしてもらったこの本を読んだ。経済の層、政治の層、道徳の層、愛の層に分けて各々が影響し制限し合う関係として論じられていてわかりやすかった。資本主義に徳はないが、個人は道徳、そして愛を忘れるべからずとのこと。


・先日、取材で高知に行った際に、「沢田マンション」へ行った。
・沢田マンションは、セルフビルドの鉄筋コンクリートマンションで、建築確認申請を出さずに作られているため、日本最大の違法建築物とも言われている。全ての工程をオーナーご夫婦とその家族だけで作り上げた建築だと聞いて、以前より一度見てみたかった。
・マンションは想像を超えた大きさだった。増改築を重ねているため、みる方向によって印象がだいぶ変わる。一階には売店があり、野菜や沢田マンショングッズが売られていた。店先では、住人の方が見たことがない野菜の下ごしらえをしながら店番をしていた。聞くと、その野菜はイタドリといい、高知県ではよく食べられている山菜の一種だという。塩揉みをして冷凍すれば長期保存も可能なため、昔は保存食として重宝されていたらしい。旅先で荷物を増やすことに躊躇したが、好奇心に負けて持ち帰って食べてみた。油との相性が良いらしく、炒めものにしてみたら歯ごたえが良いきんぴらになりおいしかった。
・沢田マンション内は、立ち入り禁止ゾーンや撮影禁止ゾーンを守るのであれば、見学時間内に見学することができる。売店で買った地図を片手に見学させていただいた。マンションの地下1階から5階は、ゆるやかなスロープでつながっている。さっきまで2階を歩いていたはずがいつの間にか4階にいたりする。スロープは、いざという時にストレッチャーや車椅子でも移動できるようにするために後から設置したものだそうだ。
・ベランダには部屋毎の仕切りを設けておらず、通路の役割も果たしている。住民同士は、なんとなくお互いの安否を確認できる。
・スロープの脇には植物が植えられており、コンクリートのマンションでもなんだか自然をすぐ近くに感じられる。4階には池があり、コイが悠々と泳いでいた(4階に池?)。屋上には家庭菜園と、自作の巨大なクレーンまであった。
・地図上には飼われている動物たち(ネコ、ニワトリ、ウサギ、カメなど)が図示されていたのだが、ケージに入っていないネコが地図の通りの場所にいて不思議だった。ネコは見学者に慣れているのか、私を横目で見ただけで、ずっとうとうととしていた。文鳥もいて嬉しかった。
・実際に足を運んでみると、セルフビルドとはとても思えない大きさに圧倒された。植栽や池など、マンションでも生活の端に庭があるようなところも素敵だ。柔軟な発想で作られた唯一無二の建築だと思う。民泊や短期ステイなどもできるようなので、機会があればいつか泊まってみたい。
・ツバメの子育ての季節がやってきた。近所には毎年ツバメが巣をかけている場所がいくつかあるので(命名:ツバメストリート)通りかかるたびにチェックしている。ヒナがうまれて順調かと思われた巣を今日のぞいたら巣が大きく壊れておりヒナはいなかった。おそらくカラスの仕業だと思われる。ヒナの声が聞こえなくなった空の巣は寂しい。他の巣は無事巣立ってほしい。
・通りがかった神社に折角なのでお参りしようとしたら、境内の脇の水路から「ぐっぐっ」というくぐもった声が聞こえてきた。どうやらカエルのようだ。同じく水路を覗き込んでいた人から聞くところによると、タゴガエルというカエルらしい。よく反響する声のため見つけにくいが、目を凝らすと水面に顔だけ出した茶色いカエルを見つけた。

・シャクヤクを数年前から育てているのだが、昨年は花がつかなかった。そのため、植え替えて専用の肥料を時期を分けて与えたところ、今年は2つもつぼみがついた。つぼみに蜜がつき過ぎていると開かないことがあるため、毎日濡らしたティッシュで拭き取る。無事ふたつとも開花。手間がかかる。貴族のお嬢様のようだと思う。しかし可愛い。

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・随分前に安く買った小さなコウモリランもいつの間にか大きくなり、株同士が干渉し始めたため、株分けをした。

・最近貝類に興味を持ち始めている。
・2月下旬に弾丸で東京へ行った。目当ては国立科学博物館で開催されていた「鳥展」である。鳥好きとして行かないわけにはいくまいとの思いではるばる足を運んだのだが、その甲斐のある素晴らしい展示だった。分類学の観点から見た最新の研究成果の系統図や、剥製がずらりと並んだ景色は圧巻だった。
・同じタイミングで常設展の企画スペースにて開催されていたのが、「貝類展」だった。前からなんとなく好きな貝殻だったが、あらためてその美しいかたちに目を奪われた。人の暮らしと貝殻の関係(ボタン、囲碁の碁石、貨幣、美術品..)など、文化的な観点からの貝類の紹介も新鮮だった。イカを捌くときに出てくる透明な一本の骨が貝殻の名残だとはロマンがありすぎる。
・そうして気になり始めた貝類をもっと知るべく、兵庫県にある「西宮市貝類館」に足を運んだ。医師業の傍ら、貝類研究とコレクションに勤しんだ菊池典男が故郷に開いた施設らしい。入場料は200円。こじんまりとした施設ではあるが、様々な貝殻を見ることができる。割とかたつむり推しなのか、陸生貝のコレクションも多く、生きたカタツムリも展示されていた。
・入館時と、出口でアンケートに答えると、それぞれ小さな貝殻をもらえる。貝殻が出てくるガチャポンもあったので一回やってみたらイタヤガイが出た。ガソリンスタンドのシェルのマークにも似た二枚貝で可愛い。
・大阪市立自然史博物館で開催されている「貝に沼る」展にも行った。こちらの展示は日本の貝類学を発展させてきた研究者の観点から紹介する展示で、前述の二つとはまた違う見方で貝類を見ることができる。貝類学は大学の研究者だけでなく、アマチュアの研究者たちも大きく貢献してきたことが印象的だった。
・この展示で初めて知ったのだが、京都にも貝類館があったらしい。しかし資金難でわずか5年で閉館してしまったそうだ。この貝類館を建てた平瀬興一郎の元で奉公していた黒田徳米が跡を継ぐ形で研究を続け、日本の貝類学第一人者となって日本の貝類総目録を完成させたのは熱い。
・貝類学者たちが愛用している採集道具も各々の工夫があってよかった。カタツムリを集めるための湿気たボール箱や仕掛けなど。カタツムリ調査の際に蚊を避けるための黒い全身タイツもあった。こうした地道な研究によって貝類学が発展してきたのだなとしみじみする。
・まだまだ奥が深そうな貝類。海で貝殻を探しに行きたいし、いずれ北海道の蘭越町貝の館や、土佐清水の海のギャラリーにも足を運びたい。まずはもうしばらく貝類の絵を描こうと思う。

・春で気ばかり急いて落ち着きがない。街中で自転車に乗りながら歌っている人間が増えている。
・雨上がりに川沿いを散歩していたら、アオサギが珍しく土手の上まで上がってきていた。しばらく見ていたら足で土を探ってミミズを見つけて食べていた(2匹)。どうやって見つけているのだろうか。

・個展でもお世話になった額縁屋さんに、納品する予定の作品の額装をお願いしていた。出来上がったとの連絡を受けて引き取りに行ったのだが、うっかり持ち帰るための大きな袋を忘れてしまった。そんなに距離もないのでお弁当やさんスタイルで直に持って帰った。桜の花びらが絵の上に積もっていく。
・来年初めに向けて本を準備している。取材をしながら描いているので時間もかかり大変だが、良い本にしたい。心臓がノミなので、初めての取材旅行先で見た夢は荷物を置き忘れる夢だった。取材スケッチの一部をちょろっと。


3月に読み終えた本の一部を並べてみる。
著者やテーマから繋げて読んでいたら、なんだか依存症関係の本が多くなった。たまたま依存症と呼ばれる状態になった経験はないけれど、現在を生きるのが困難な時の生きのびる手段として何かに依存せざるを得ないのは共感できる部分も多くある。「人は依存するもの。ただ、それを病にしてしまうのではなく、様々なコミュニティやものに分散させて、ちょっとずつ依存できるようになるといい」という作中の言葉が印象的だった。
・『死ぬまで生きる日記』 著:土門蘭さん 生きのびるブックス
・『傷の声 絡まった糸をほどこうとした人の物語 』 著:斎藤塔子さん 医学書院
「シリーズケアをひらく」は面白いものが多いので新刊をチェックしている。この本は剥き出しの傷を言語化しようとする試みをしている。読むのが苦しいが、この本を読めてよかった。
・『ヒトとクスリの現代論 誰がために医者はいる』 著:松本俊彦さん みすず書房
・『酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話』 著:松本俊彦さん 横道誠さん 太田出版
・『校正・校閲11の現場 こんなふうに読んでいる』 著:牟田郁子さん アノニマ・スタジオ
テレビの字幕、地図、レシピとあらゆる現場の校正者と、同じく校正者の牟田さんが対談したもの。分野によって少しずつ違いがあって面白い。私は誤字脱字も頭で勝手に修正して読んでしまうし、校正者という仕事は絶対できない仕事の一つとして憧れがある。
・『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』 著:室橋裕和さん 集英社新書
よく見かける(なんなら店名も似ている)ネパール人がやっているインドカレー屋さん(インネパ)はなぜこんなにも日本で発展してきたのかを取材したもの。なぜネパール料理ではなくインド料理なのか。源流となる店や、コックとその家族、故郷を取り巻く環境。読むと気軽な気持ちでは店に入れなくなるかも。
先日、初めて甲子園で高校野球を観た。
・甲子園駅を降りると、吉野家もいつものオレンジと緑と白のしましまではなく、黄色と黒のしましまに変わっていた。駅前に置いてあるコーンも黄色と黒のしましまである。徹底している。駅前は全国から選手たちの応援のために集まってきた人たちで賑わっていて、さまざまなイントネーションの言葉が聞こえてくる。
・甲子園球場自体も初めて目にした。赤茶色の煉瓦造りの壁に蔦が絡まっている(冬なので蔦は枯れて茎だけだったが)。中に入ると芝生と土のグラウンドが広がり、その上に抜けていくようもポッカリと青空がのぞいている。
・当たり前だが選手一人一人が実在してそこにいて、質量を持って野球をしていることに軽い感動を覚える。学生時代、体力テストにある球を投げた距離の測定で絶望的な数字を叩き出していた身としては、投げた球が放物線ではなく真っ直ぐミットに向かって飛んでいくのが不思議で仕方がない。一体どれだけの練習をしたのだろう。
・今まであまり縁がなかったスポーツ観戦だったがとても面白かった。しかし自分はみんなで声を合わせて応援するのに興味がないこともわかった。声は出したい時に出したい。



一歩でも一塁に近付くべく左打をする選手のほうが多いらしい
・試合が終わるごとに数十人のスタッフがグラウンドを綺麗に整備している。ホースで水を撒く際には、ホースをひきづって跡がつかないように何人かで持っていた。お祭りで龍を操る人のようだ。虹が何度も出ていた。

近頃は割と忙しい気がするが、散歩をしているしよく眠っているのでそうでもないのかもしれない。そんな時期は、リストを作って順番にやっていくことが毎日の出来事になるが、それとは別に日記の端々には、きっと書かなければ忘れてしまうような断片ばかりが残っている。
・少し久しぶりにクロッキー会に参加した。モデルさんのうぶ毛が逆光の光を含み、全身がぼんやりと発光していて美しかった。人間はつるつるなんかじゃない。
・飲食店でご飯を食べていたら、年配の男性が缶ビールを片手に入ってきたのでびっくりしていると店主に「おかえり。」と言われている。どうやら身内らしい。お店のコップを使って飲みながら、店主に「万願寺とうがらしってどんなやったっけ。」と聞いている。ちょうど夕ご飯の時間帯でお客さんで混み始めており、店主も店員さんもとても忙しそうで、どうやっても今聞くべき話題とは思えない。横目で見ていると、「そうだ、ピーマンみたいなやつやな。」と呟いて、するりと店を出ていった。
・雨が上がると太陽の反対方向を確認するようにしている。その日もくっきりとした虹が住宅街から生えていた。多分隣駅のあたりだと思う。

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