日記

ふたつの飛行機について

・飛行機というモチーフが好きだ。人間が空を飛びたいという大それた夢と欲望が具現化されたもの。どことなく鳥のかたちに似ている。

・私の部屋には二つの飛行機がある。一つは、京都の古道具屋で買ったものだ。バルサ材という建築模型などに使われる材料で作られた簡素なもので、飛行機というものを極限まで簡略化したようなかたちが気に入っている。細い透明な糸で天井から吊るしており、夏の空調でゆらゆらと揺れている。

・もう一つの飛行機は、数年前に人からもらった。以前住んでいたの地域の掲示板には、月替わりで近所の人がそれぞれ自分の宝物を紹介するという新聞?のようなものが貼ってあった。ある月、部屋中を埋め尽くした模型の飛行機が紹介されていた。その横には、「見学されたい方はどうぞお気軽にご連絡ください」と電話番号が添えてあった。数日迷ったが、電話をかけてみるとどうぞ来てくださいとのことで足を運んだ。その家は、私の家から徒歩5分もしないところにある古い一軒家だった。

・おばあさんが出てこられて、2階へと案内してくれた。その部屋が掲示板で見た飛行機の部屋だった。部屋の中央には、おじいさんが椅子に座っていた。男性は脚が悪いらしく、男性の周りの半径一メートルほどの範囲に、全ての生活用品が置いてある。壁の一画には、古い文学全集が並んでいた。

・どうぞご覧ください、と言われて、棚の中に整然と並んだ飛行機を一つ一つ見た。飛行機は、航空会社で使われている旅客機が多い。どの飛行機もどこにも飛び立つことなく斜め上に機体を向けて静止している。部屋の掛け時計が秒針を刻む音が響いている。飛行機をなぜ集めるようになったのかと尋ねると、彼はこんな話をした。

・彼は戦時中に九州の方に住んでおり、学徒動員で航空隊に配備されたそうだ。仲間は次々と飛び立ち、戻ってくることはなかった。もうすぐ自分の番が来る。そう思っているうちに終戦を迎えた。自分は飛行機で飛び立つことがなかったのでこうして生きているが、なぜか飛行機に惹かれ続け、こうして集めてきたらしい。彼自身もあまりその理由をうまく説明できないようだった。

・帰りに折角きたのだからどれでも好きなものを持って帰っていいと言われた。何度か遠慮したが、どうせあの世には持っていけないし、子どもも孫も興味がない。これは処分されるだけだから、との言葉に、棚の隅にあった飛行機型の鉛筆削りをもらって帰った。その鉛筆削りは今は私の本棚の上にある。

ひかるおなか キーソバ

・暑い。毎日冷たい麺ばかり食べている。京都に越してきて4度目の夏だが、盆地特有のジリジリと鉄板の上で焦がされているような暑さには全く慣れない。あと景観保護の関係で建物が低い&街路樹が少ないので日陰の面積が他の市より少ない気がする。

・こっちにきてから、「キーソバ」を初めて知った。「黄蕎麦」の意味で、中華麺を出汁で食べる麺類の総称らしい。うどん屋や蕎麦屋で提供されている。初めて食べた時は「中華麺だなあ」という感想だったが、今の季節に食べる冷やキーソバがとても美味しい。先日もお店で食べていたら鍋を持った常連さんが現れ、カレーうどんを鍋に入れてもらって帰っていった。そういう買い方ができるのは素敵だと思う。

・忙しさに追われていたらいつの間にか蛍の時期を逃してしまった。眠る前に少しずつ『光る生き物の科学 発光生物学への招待』(著:大場裕一さん 日本評論社)を読んでいる。光る理由は生き物によって様々だが、海の中階層にいる生き物のほとんどは「隠れるため」に光っているらしい。お腹を光らせることで、海面側がほんのり明るい中に姿が影として浮かび上がらないようにしているそうだ(カウンターイルミネーション)。ホタルイカやイワシもその理由で光っている。生き物が光るのは見つけてほしいからだと思っていた。海の中でおなかが光っているのはちょっと面白い。

アロハシャツ 時間の感覚

・宮崎での取材から帰ってきた。飛行場を降りてすぐにトロピカルジューススタンドとヤシの木があり南国感があった。以下、取材に関わらない小さな日記。

・ホテルに到着した時にはスーツ姿だったスタッフさんが、翌朝になるとアロハシャツに変わっていた。丁度6月から衣替えだったらしい。最初はなんとなく違和感だけがあり、あとから気がついた。

・夕ごはんを求めてうろうろしていたら、たばこ屋の前に佇んでいたおばあさんに話しかけられた。彼女は90年間ずっとこの場所に住んでいるらしい。今日の昼にたばこ屋の前にある洋食屋さんでハンバーグを食べたこと、子供の頃は港に船が入ってくると街が賑わい、漁師同士が喧嘩しているのを窓の隙間から見るのが好きだったこと、空襲から逃げてすぐそこの防空壕に入ったこと。時系列がバラバラな出来事がたった今起きたことのように同じ軸で語られていく。そういえば少し前に4歳くらいの子どもさんと話した時も同じような語りだったなと思い出す。人は歳をとると時間の観念がなかった頃に戻っていくのかもしれない。話が三周目に入ったところでお礼を言って別れた。

・旅先で読んだ本リスト

『夢みる石 石と人のふしぎな物語』(著:徳井いつこさん 創元社)

石の魅力にとりつかれた人々の話。石はハマると特別深いところに落ちていくような感じがある。ちょっとわかる。

『なぜ人は自分を責めてしまうのか』(著:信田さよこさん 筑摩書房)

信田さんの本は幾つか読んでいるが、講演をベースにした本なので語り言葉で特に読みやすかった。タイトルは自責だが、母娘、家族の関係についての話題が中心。自分の家族を箱の縁から俯瞰して眺める助けになりそう。

『資本主義に徳はあるか』(著:アンドレ・コント=スポンヴィルさん 訳:小須田健さん C・カンタンさん 紀伊国屋書店)

私は本を映像として読んでいるので言語を組み立てて論じていくような哲学系の本が苦手だった。しかしようやく最近は少しずつ読めるようになってきたのでおすすめしてもらったこの本を読んだ。経済の層、政治の層、道徳の層、愛の層に分けて各々が影響し制限し合う関係として論じられていてわかりやすかった。資本主義に徳はないが、個人は道徳、そして愛を忘れるべからずとのこと。

地図上のネコ

・先日、取材で高知に行った際に、「沢田マンション」へ行った。

・沢田マンションは、セルフビルドの鉄筋コンクリートマンションで、建築確認申請を出さずに作られているため、日本最大の違法建築物とも言われている。全ての工程をオーナーご夫婦とその家族だけで作り上げた建築だと聞いて、以前より一度見てみたかった。

・マンションは想像を超えた大きさだった。増改築を重ねているため、みる方向によって印象がだいぶ変わる。一階には売店があり、野菜や沢田マンショングッズが売られていた。店先では、住人の方が見たことがない野菜の下ごしらえをしながら店番をしていた。聞くと、その野菜はイタドリといい、高知県ではよく食べられている山菜の一種だという。塩揉みをして冷凍すれば長期保存も可能なため、昔は保存食として重宝されていたらしい。旅先で荷物を増やすことに躊躇したが、好奇心に負けて持ち帰って食べてみた。油との相性が良いらしく、炒めものにしてみたら歯ごたえが良いきんぴらになりおいしかった。

・沢田マンション内は、立ち入り禁止ゾーンや撮影禁止ゾーンを守るのであれば、見学時間内に見学することができる。売店で買った地図を片手に見学させていただいた。マンションの地下1階から5階は、ゆるやかなスロープでつながっている。さっきまで2階を歩いていたはずがいつの間にか4階にいたりする。スロープは、いざという時にストレッチャーや車椅子でも移動できるようにするために後から設置したものだそうだ。

・ベランダには部屋毎の仕切りを設けておらず、通路の役割も果たしている。住民同士は、なんとなくお互いの安否を確認できる。

・スロープの脇には植物が植えられており、コンクリートのマンションでもなんだか自然をすぐ近くに感じられる。4階には池があり、コイが悠々と泳いでいた(4階に池?)。屋上には家庭菜園と、自作の巨大なクレーンまであった。

・地図上には飼われている動物たち(ネコ、ニワトリ、ウサギ、カメなど)が図示されていたのだが、ケージに入っていないネコが地図の通りの場所にいて不思議だった。ネコは見学者に慣れているのか、私を横目で見ただけで、ずっとうとうととしていた。文鳥もいて嬉しかった。

・実際に足を運んでみると、セルフビルドとはとても思えない大きさに圧倒された。植栽や池など、マンションでも生活の端に庭があるようなところも素敵だ。柔軟な発想で作られた唯一無二の建築だと思う。民泊や短期ステイなどもできるようなので、機会があればいつか泊まってみたい。

北へ南へ

・引き続きある企画の取材のためあちこちに出かけている。昨日は北海道へ行ってきた。来週は九州へ。

・北海道で植物を観察していたら、通りがかりのおじさんが四つ葉のクローバーをくれた。なぜかたくさんの四つ葉のクローバーを手に持っていた。不思議。

・植物の絵を描くことはとても楽しい。考えてみると、子どもの頃は、外で植物をスケッチしたり、たんぽぽ等の花びらの枚数を数えたり、種子を集めて種類ごとに保管したりすることが好きだった。植物に今も心を惹かれ続けている。

コウモリラン分割 シャクヤクのつぼみ

・ツバメの子育ての季節がやってきた。近所には毎年ツバメが巣をかけている場所がいくつかあるので(命名:ツバメストリート)通りかかるたびにチェックしている。ヒナがうまれて順調かと思われた巣を今日のぞいたら巣が大きく壊れておりヒナはいなかった。おそらくカラスの仕業だと思われる。ヒナの声が聞こえなくなった空の巣は寂しい。他の巣は無事巣立ってほしい。

・通りがかった神社に折角なのでお参りしようとしたら、境内の脇の水路から「ぐっぐっ」というくぐもった声が聞こえてきた。どうやらカエルのようだ。同じく水路を覗き込んでいた人から聞くところによると、タゴガエルというカエルらしい。よく反響する声のため見つけにくいが、目を凝らすと水面に顔だけ出した茶色いカエルを見つけた。

・シャクヤクを数年前から育てているのだが、昨年は花がつかなかった。そのため、植え替えて専用の肥料を時期を分けて与えたところ、今年は2つもつぼみがついた。つぼみに蜜がつき過ぎていると開かないことがあるため、毎日濡らしたティッシュで拭き取る。無事ふたつとも開花。手間がかかる。貴族のお嬢様のようだと思う。しかし可愛い。

・随分前に安く買った小さなコウモリランもいつの間にか大きくなり、株同士が干渉し始めたため、株分けをした。

夢で弾いたピアノの音

・『ヤクザときどきピアノ』を読んだからか、夢にピアノが出てきた。そのピアノは正確には電子ピアノで、弾く機会が少なくなり人にあげたので、今はもうここにはない。もう10年以上前になる。


・なぜかピアノは雑踏の道の真ん中にあり、周りはとても騒がしい。私は椅子に座ってヘッドホンをはめる。整然と並んだ鍵盤を押してみる。音がポーン。と鳴って、周囲の音が消える。もう大丈夫だと思った瞬間に目が覚めた。

気になる貝

・最近貝類に興味を持ち始めている。

・2月下旬に弾丸で東京へ行った。目当ては国立科学博物館で開催されていた「鳥展」である。鳥好きとして行かないわけにはいくまいとの思いではるばる足を運んだのだが、その甲斐のある素晴らしい展示だった。分類学の観点から見た最新の研究成果の系統図や、剥製がずらりと並んだ景色は圧巻だった。

・同じタイミングで常設展の企画スペースにて開催されていたのが、「貝類展」だった。前からなんとなく好きな貝殻だったが、あらためてその美しいかたちに目を奪われた。人の暮らしと貝殻の関係(ボタン、囲碁の碁石、貨幣、美術品..)など、文化的な観点からの貝類の紹介も新鮮だった。イカを捌くときに出てくる透明な一本の骨が貝殻の名残だとはロマンがありすぎる。

・そうして気になり始めた貝類をもっと知るべく、兵庫県にある「西宮市貝類館」に足を運んだ。医師業の傍ら、貝類研究とコレクションに勤しんだ菊池典男が故郷に開いた施設らしい。入場料は200円。こじんまりとした施設ではあるが、様々な貝殻を見ることができる。割とかたつむり推しなのか、陸生貝のコレクションも多く、生きたカタツムリも展示されていた。

・入館時と、出口でアンケートに答えると、それぞれ小さな貝殻をもらえる。貝殻が出てくるガチャポンもあったので一回やってみたらイタヤガイが出た。ガソリンスタンドのシェルのマークにも似た二枚貝で可愛い。

・大阪市立自然史博物館で開催されている「貝に沼る」展にも行った。こちらの展示は日本の貝類学を発展させてきた研究者の観点から紹介する展示で、前述の二つとはまた違う見方で貝類を見ることができる。貝類学は大学の研究者だけでなく、アマチュアの研究者たちも大きく貢献してきたことが印象的だった。

・この展示で初めて知ったのだが、京都にも貝類館があったらしい。しかし資金難でわずか5年で閉館してしまったそうだ。この貝類館を建てた平瀬興一郎の元で奉公していた黒田徳米が跡を継ぐ形で研究を続け、日本の貝類学第一人者となって日本の貝類総目録を完成させたのは熱い。

・貝類学者たちが愛用している採集道具も各々の工夫があってよかった。カタツムリを集めるための湿気たボール箱や仕掛けなど。カタツムリ調査の際に蚊を避けるための黒い全身タイツもあった。こうした地道な研究によって貝類学が発展してきたのだなとしみじみする。

・まだまだ奥が深そうな貝類。海で貝殻を探しに行きたいし、いずれ北海道の蘭越町貝の館や、土佐清水の海のギャラリーにも足を運びたい。まずはもうしばらく貝類の絵を描こうと思う。

春のざらざら

・春で気ばかり急いて落ち着きがない。街中で自転車に乗りながら歌っている人間が増えている。

・雨上がりに川沿いを散歩していたら、アオサギが珍しく土手の上まで上がってきていた。しばらく見ていたら足で土を探ってミミズを見つけて食べていた(2匹)。どうやって見つけているのだろうか。

・個展でもお世話になった額縁屋さんに、納品する予定の作品の額装をお願いしていた。出来上がったとの連絡を受けて引き取りに行ったのだが、うっかり持ち帰るための大きな袋を忘れてしまった。そんなに距離もないのでお弁当やさんスタイルで直に持って帰った。桜の花びらが絵の上に積もっていく。

・来年初めに向けて本を準備している。取材をしながら描いているので時間もかかり大変だが、良い本にしたい。心臓がノミなので、初めての取材旅行先で見た夢は荷物を置き忘れる夢だった。取材スケッチの一部をちょろっと。

本日記

 3月に読み終えた本の一部を並べてみる。

 著者やテーマから繋げて読んでいたら、なんだか依存症関係の本が多くなった。たまたま依存症と呼ばれる状態になった経験はないけれど、現在を生きるのが困難な時の生きのびる手段として何かに依存せざるを得ないのは共感できる部分も多くある。「人は依存するもの。ただ、それを病にしてしまうのではなく、様々なコミュニティやものに分散させて、ちょっとずつ依存できるようになるといい」という作中の言葉が印象的だった。

・『死ぬまで生きる日記』 著:土門蘭さん 生きのびるブックス

・『傷の声 絡まった糸をほどこうとした人の物語 』 著:斎藤塔子さん 医学書院

 「シリーズケアをひらく」は面白いものが多いので新刊をチェックしている。この本は剥き出しの傷を言語化しようとする試みをしている。読むのが苦しいが、この本を読めてよかった。

・『ヒトとクスリの現代論 誰がために医者はいる』 著:松本俊彦さん みすず書房

・『酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話』 著:松本俊彦さん 横道誠さん 太田出版

・『校正・校閲11の現場 こんなふうに読んでいる』 著:牟田郁子さん アノニマ・スタジオ

テレビの字幕、地図、レシピとあらゆる現場の校正者と、同じく校正者の牟田さんが対談したもの。分野によって少しずつ違いがあって面白い。私は誤字脱字も頭で勝手に修正して読んでしまうし、校正者という仕事は絶対できない仕事の一つとして憧れがある。

・『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』 著:室橋裕和さん 集英社新書

 よく見かける(なんなら店名も似ている)ネパール人がやっているインドカレー屋さん(インネパ)はなぜこんなにも日本で発展してきたのかを取材したもの。なぜネパール料理ではなくインド料理なのか。源流となる店や、コックとその家族、故郷を取り巻く環境。読むと気軽な気持ちでは店に入れなくなるかも。

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